ブルターニュほど郷土色豊かな祭りが行われる地方も他にないかもしれません。人々は、歌い、踊り、楽器を奏で、独特の文化を今日に伝えてきました。また宗教的な意味合いの強い祭礼も数多く残っています。
民族衣装も祭の楽しみ。村ごとに異なる可愛らしいレース帽や衣装は代々受け継がれているもので、旅人の目を惹きつけずにはいられません。
フランスで唯一残るパルドン祭 Les Pardons
パルドン祭はブルターニュの町や村で中世から連綿と行われてきたキリスト教の祭りです。フィニステール県にはブルターニュの中でも特に色濃くその習慣が残っています。
祭は主に5月から9月にかけて行われますが、このとき自分の犯した罪を懺悔すると許されるとされています。教会でのミサで始まり、民族衣装をつけた人々がバニエールと呼ばれる旗や十字架、聖人の像を持ち、歌を歌いながら行進します(写真1)。
特にロクロナンでは、毎年のパルドンのほかに、7年に一度グランド・トロメニーといわれる大規模なパルドンが行われます。村を一周する12キロの聖なる道を巡礼していく行事で、1000年の歴史があると言われています。
その他有名なパルドン:
■トレギエ(Treguier)■ル・ファウエット(Le Faouet)
■ル・ヴィユー・マルシェ(Le Vieux Marche)
■サント・アンヌ・ドレー(Sainte-Anne d’Auray)
■サント・アンヌ・ラ・パリュ(Sainte-Anne-la-Palud)
■ペロス・ギレック(Perros-Guirec)
■ ペンマルク(Penmarc’h)
■ ベシュレル(Becherel)
■ ポルカロ(Porcaro)
■ ロシュフォール・アン・テール(Rochefort-en-Terre)
■ プロヌヴェズ・ポルゼー(Plonevez-Porzay)
■ ル・フォルゴエット(Le Folgoet)
■ ジョスラン(Josselin)
カンペール コルヌアイユ祭り Fête des Cornouailles
毎年7月中旬にカンペールで盛大に行われるのが、コルヌアイユ祭り(写真2)。ブルターニュ民族の伝統文化と芸術、音楽、歌、踊りなどが繰り広げられるお祭りです。
コンカルノー 青網祭り Fête des Filets Bleus
コンカルノーでは毎年8月中旬に、漁業の拠点らしく魚網を意味した「青網祭り」(写真3)が行われます。この祭りは1905年に始まったもので、もとはイワシの暴落で困窮していた漁師の家族を支援するためのものだったといいます。
青網祭りでは、民族衣装を着た人々や踊り子たちが次々と行進します。町の通りでは、パレード、ダンスパーティ、ブルターニュ風格闘技、伝統楽器のグループバンドの演奏会、青網祭の女王選出などのイベントが朝から晩まで行われ、小さな町が大変賑わいます。
ディナンの城壁祭りFête des Remparts
ディナンの「城壁祭り」(写真4)は、中世の暮らしぶりを再現する祭りで、2年に一度、7月中旬に行われます。
貴族や騎士、町民など、様々な中世の衣装の人々が道にあふれ、ディナンの古い町並みにしっくりとなじみます。
町角には、道化師や大道芸人、火吹き男、熊使いなど中世にいた人たちが登場し、舞踏会や中世の市場も再現されます。また、15世紀の装束に身を包み、長い槍などの武器を持った騎士の試合や、ダンス、演劇が毎日4回行われます。
さながらタイムマシンで中世にまぎれこんだような、楽しい体験ができる祭りです。
(トップへ)
ロリアンのケルト民族フェスティバル Festival Interceltique de Lorient
ロリアンでは7月下旬から約10日間にわたり、世界でももっとも規模の大きい「ケルト民族フェスティバル」が開かれます。各国からケルトゆかりのミュージシャンをはじめ、ロック、フォーク、ジャズ、クラシック、パーカッションなどのミュージシャンが集まり、伝統音楽の演奏、踊り、パレード、コンサートなどが10日間にわたって繰り広げられます。2000年には参加ミュージシャンが4500人を数えました。複数の会場で同時にいくつものコンサートが開催され、路上にもアマチュアミュージシャンたちがあふれて、この小さな港町はケルト一色になります。
ブルターニュの歴史
ブルターニュの歴史は新石器時代に遡ることができ、遺跡が各地に残されています。
紀元前56年、ケルト人が住んでいたブルターニュをジュリアス・シーザーが征服、紀元5世紀までローマ帝国の統治下にありました。紀元6世紀、再びケルト人がイギリスから移住してきます。その後、ゲルマン民族であるフランク王国に支配されるなど、受難の時を迎えます。
9世紀、ヴァンヌの封建領主であり、ブルターニュの英雄ノミノエがブルターニュの統一を図り、西フランク王国にブルターニュ公国の独立を認めさせました。その後ノルマンディー公国、フランス、イギリスなど諸外国と戦って独立を守りつづけました。
1488年から1514年まで、ブルターニュ公国の最後の君主であったアンヌ・ド・ブルターニュは2回もフランスの国王と結婚しましたが、ブルターニュは独立を保ちつづけました。アンヌ・ド・ブルターニュは、フランスに対して反骨精神を持ち続けているブルターニュ人の誇りの象徴として、今でも愛されている歴史上の人物です。
ブルターニュが正式にフランスに統合されたのは、アンヌの死後の1532年のことです。
ケルト人、ケルト文化について

ブルターニュはケルト文化圏と言われますが、今やどこまでがケルトの文化なのかは分かりにくくなっています。それだけケルト文化は日常生活に浸透しているのです。
少なくともケルト人は、ローマ人侵略以前にすでにブルターニュ半島に住んでいたと言われています。フランスの国民的漫画「アステリックス」はこの時代が設定され、ケルト人である主人公たちは常に侵略を図るローマ人と戦っています。
その後の6世紀頃、イギリスにいたケルト人たちがアングロ・サクソン人に追われて海を渡り、ブルターニュ半島に移住してきます。イギリスのグレート・ブリテンに対する小ブリテンがブルターニュの地名の由来なのです。
ブルターニュの人々はケルトの子孫であることに非常な誇りを抱いています。ケルト文化は元来口承で、音楽、踊り、歌、衣装、遊び、伝説などを通じて連綿と途切れることなく伝えられてきました。
そもそもこの地方の多くの地名はケルト語系のブルトン語であり、人々の名前も独特ですぐに出身地がわかります。ブルトン語を教える学校も最近は急増中、ブルターニュ人の独立心旺盛な気質と相まって、ケルトはブルターニュ人のアイデンティティー確立の役割を果たしているのです。
ブルターニュのケルト音楽
ブルターニュで伝統音楽が見直されたのは1970年代から。忘れられていたハープを使い、スコットランドからバグ
パイプの技術を学び、新しいフランスのケルト音楽を作ったのは、音楽家のアラン・スティーベルで、現在ではアイルランドの音楽シーンにも影響を与えています。
ブルターニュの伝統的な楽器には、オーボエの先祖である木管楽器ボンバルドBombarde、スコットランドのバグパイプが元になっているビニウーbiniou、ハープなどがあります。
(トップへ)
|